ブラックで潰れてから7年以上経ったけどもう潰れる前の状態まで戻った感じなので備忘録とか
表題の通り、ブラックな環境でけっこうだめな状態まで追いやられたが、現在気づけば過去の話として風化できるレベルになったので。
時系列とか経験談とか、これは自分にとってよかったこととか書き残します。
これは決して『俺はこんな状態から立ち直ったんだ、えらいやろ』『俺を見習え』みたいなものでなく、そういう状態からそういう方法で立ち直ったんだという一つの読み物として捉えていただければ幸いです。
●過程
筆者理系学部生。ブラックラボで先輩とも折り合い合わず。ずっとラボに拘束されるが何をすればいいか結局具体的に教えてもらうこともなく、自らあがくもやはり何もできず。何一つ成果は出ず、最終的に卒論直前に過去の論文を持ち出されそれをコピペするだけで、何一つ研究をしていなかった扱いで卒業。その過程で心療内科に通い、休むことを勧められていたが強行。幻聴や被害妄想、抑うつ状態や突然号泣したりスマホを充電しないまま放置など奇行が目立った
無事卒業後就職するも、後遺症となるものが残っていた。質問されるとパニック状態になる、短期記憶がほぼほぼ皆無(10秒前の会話の記憶が皆無)、ラボ時代の光景が週一回ペースで夢でフラッシュバックして深夜にもかかわらず恐怖と怒りが止まらなくなる
就職を機に数年ぶりに実家での生活となったが、家族と会話が成立しない時が一番後遺症を実感した
そのような状態で初期の部署に配属された結果、全員からおもちゃにされる日々。ADHDとそれに伴う二次障害の状態と完全に状況が当てはまるため、発達障害と適応障害の診断を貰い障害者採用での転職を目指す方針を打ち出すが、なかなか診療にありつけず(カウンセリングですらどこのクリニックも予約が埋まっていてかかれない…)
そんななか配属先変更の司令。ゼロ(というよりおおきなマイナス状態)から始められると思い、状態の改善を図りながら日々を過ごす。
それから7年ほどたった今、「そういえばあの時そんな状態になってたな」とふと思い出すくらいまで回復
(思い出したのでせっかくと思い備忘録を書いている次第)
今では、
『バリバリ仕事ができて右に並ぶものはいない。もうあの頃の自分と別人』
『私生活も充実に充実を重ねていて、宗教団体みたいな集団を作りあげた。自分テラ教祖wwwwwwマジプペるwwwwwww』
……みたいなことは残念ながら起きてない。起きてたまるかって話である。
そりゃ人間関係の難しく感じたり、なかなか仕事向けでない自分の性格や、頭が切れる方ではないだとか、そういった部分は今でも日々の課題である。
ただし
『社会で生きることすら自分には無理。人間が怖い。自分には能力的に不可能なことが多いしがんばっても覆らないものも多い。そもそもそんなにがんばれない』
『定型の中で発達の自分が生きていくのは難しい。ただし定型を装ってここまで来てしまったからに発達にシフトするのも難しい。障害者雇用の収入モデルも絶望的なので、精神すり減らしても今の状態にしがみついたほうがいいのか』
みたいなことは考えなくなった。というのも当時は本当にそんなことばかり考えていた。だいたい発達障害と鬱と今後の生き方について頭を悩ませ、その合間に起きるフラッシュバックでそのたびぶっ壊れていた。
ADHDとそれに伴う二次障害と思われる状態も、今では殆ど見られない。今となるとあれは何だったんだろうというレベルだが、当時本当にそういう状態になっていたのは確かである。
ちなみに今でも極度な精神的ストレスで幻聴や被害妄想は稀に復活するので、病院は行った方がいいっすね(7年以上放置中のうんこ人間)
●やってよかったこと
7年前壊れた状況から、これやって自分はよかったというものをあげていく
根拠などが提唱されているものでなく、あくまで自分の経験則であることはご了承いただきたい
①競争概念がなく、所要スキルや集中力をさほど要さない趣味
ストレス状態からの復活にいいのは趣味への没頭だが、上記の条件が大事と思われる。精神的に不安定でかつ、能力も集中力も落ちているこの状態だと、所要スキルの前に頓挫したり、競争概念を目の当たりにして病んでしまったりする。
自分は『アイドル声優のライブ』『カラオケ』にハマった。
カラオケは上達のためにはスキルもいるし、そこに競争概念ももちろん存在するが、自分はただただ歌うだけで、採点も入れない。おかげで全然歌も上達しなかったわけだが、何度も救われた。思い切り歌うことでストレス解消ができた
アイドル声優のライブもハマりにハマった。隔週1回は誰かのライブに行っているような時期もあった。チケさえご用意されればなんとかなる。お金は必要となるが、ここに捻出するお金のために仕事をやめずしがみついた時期もあった。
この趣味を馬鹿にされてつらい思いをしたこともあったが、そのぶんより遥かに心の支えになっていた部分も多い。
全く集中力もなく、だいたいの時間は病んでいた自分だが、ライブに行っているときは
忘れられる。最高の多幸感を得て。チケを当てて金を払って現地にさえいけば達成されるため、所要スキルや集中力はさほどない。競争概念もそこには基本存在しない。
そのうち、ライブのためのセトリ予習だとか、セトリの考察。そのアイドル声優が歌っている曲のタイアップのアニメや、出演しているアニメを見てみるなど、どんどん行動力が復活して、病み続けている時間も次第に減っていった。
麻倉ももちゃんという声優にガチ恋して、土曜朝6時45分からやってた子供向けアニメ『プリプリちぃちゃん』(ちゃお連載)をリアタイ視聴するくらいまでにはバイタリティは回復していった。
これが電子工作とか、資格取得、プログラミングとか、頭脳や集中力を要するものだとむずかしい。
創作活動はどうかと言うと、絵なんかもいい感じに思えるのだが、いいねやRTがどうとかで競争概念に駆られがちなので、これも難しいところである。
ライブ狂いやカラオケ以外に適してそうなのは、自転車、食べ歩き、旅行、散歩、グルメ…あたりかと思っている。
なんとか低い労力からでも多幸感を得られるものを選択し、趣味に没頭できる状態を作りたいものである。
②十分な睡眠をとること
当たり前なことだが、本当に大事なこと。潰れた状態になるとこの部分が雑になりがちと思われる。
ラボ時代末期、自分は拘束生活により睡眠時間が3時間ほどだった。日々3時間、時折壊れたように16時間くらい眠り続ける、みたいな繰り返し。
その後一日5時間睡眠へ。これで足りていると思っていた自分が愚かだった。
3時間から5時間で2時間も増やしたので十分と錯覚していたが、5時間もかなり短い。個人差はあるだろうけど、少なくとも自分にとっては全く足りていなかった。
6時間寝た日なんか、かなり睡眠をとった気でいた。
ネットで調べれば出てくると思うが、大方の人間にとって理想的な睡眠時間は7~8時間くらいである。
当然日中は眠くなるので、自分はそういう体質と思い、毎日エナジードリンクとカフェイン配合のタブレットでしのいでいた。
そういう体質云々以前に睡眠時間が大幅に足りていなかった。それに当時は気づくことができなかった。
思えばADHDっぽい症状も、二次障害的な精神状態も、睡眠不足が大いに関わっていたように思える。事実、現在はその問題も解消しているわけで。睡眠時間も今は一日7~8時間ほどである。
睡眠不足の要因は精神的に参っていることも根源にあったため、それを解消するため上記の①があると考えると、もしかしたら①と②は書きながら並列で記載するものではなかったかと思ってきたが、今更仕方ない。
精神状態を落ち着かせる以外にも、『12時超えてて起きてたらもうすぐ寝ないとやばい』みたいな感覚を持つように意識した。それまで『2時前には寝てたらセーフ』みたいな感じだったので。あと慢性的なカフェインやエナジードリンクの摂取は控える。これはとても大事
③競争概念のない環境で、小さなことからコツコツと。(自信を取り戻す)
突然のきよし師匠だが、本当にそのとおり。
自分は職場でおもちゃにされたとき、他の同期たちがなまじ普通(というかできる人間)だったため、よりいっそう自分は異常(発達障害)と思いこむことになってしまった。
無論同期たちは悪くない。というかむしろ優しい寄りの人間だった。おもちゃにしてきた人間は……そのおもちゃにしてきた事実だけを嫌だったことにして、その人間を恨まないことにしている。そのほうが疲れない。
逆の立場だった事を考えると、当時の自分みたいなのがやってきたら普通におもちゃにしてしまってもやむを得ない
まあ渦中にいるときはそんな余裕なかなかでないが。
その後異動し、見事に同世代がほぼほぼいない、年齢の中央値が60くらいの部署に配属となった。2人1組で仕事をする感じだったが、最初のペアはバリバリ仕事するベテランのおじいさん。俺は完全に置物状態でも仕事は進んだ。
給料泥棒である。
職場によってはクビレベルの無能であったが、切られなかったことに感謝である。
ただ同期なども誰もいなく、競争概念から解き放たれた自分の精神はみるみる回復していった。
数ヶ月後に別の人とペアに。この人は60手前くらいの人だった。自分とは1年近く組んでいたが、この方には頭があがらない。元々の性格や能力に加え、後遺症もあいまって自分ができていないことを、笑いものにしておもちゃにするのではなく、一つ一つ向き合ってくださった。
『頭が真っ白になったり焦っている時こそ深呼吸』
『確実な準備と確認で、物事の失敗は減らせる』
『仕事をするときは、今から自分は何をどうすることにより、結果どうなるかといったことが完全にシミュレーションできた上で動かないとだめ』
『知識をつけることで次どう動けばいいかわかるようになる』
などいった基本的なことを何度も叩き込んでくれた。これができてないと怒鳴られるとかじゃなく、普通にしっかり叱られた。
とても基本的なことを言われていることはわかり、それすら今の自分はできていないことを受け入れ、少しでもできるように意識して取り組んだ。
結局自己評価でしかないが、最終的には少しずつできるようになったと自負している。まあおもっきり初歩的な話だもの。多少はね?
この小さいことからコツコツとの精神をモットーに、今日はできたできなかった、次の日はできるようにしようとかそういった感じで日々仕事に取り組んだ。もうこれはできたなと思えば、次の目標へ。
その時自分がたてていた目標なんかもはや小学生レベルのことで、周りの同期は確実にもっと大きいことをしていたであろう。しかし同じ配属に同期が居ないため比べることもできないため、周りを気にすることなくコツコツとやることに取り組めた。
やれることからコツコツとを繰り返し、国家資格もいくつかとったりした。
そういったことの積み重ねで、どんどん自信を取り戻すことができた。能力的な部分や精神障害的な部分もあったかもしれないが、自尊心がどうもボッコボコになっていたのも様々な二次障害を引き起こしていた要因だったぽく、自尊心を取り戻すに連れできることがどんどん増えて、バイタリティも元通りになっていくのを実感した。
結局その後またいろいろ別の部署にいったが、冒頭お伝えしたとおりなんとかやれている。
当時もそのおじさん社員には頭が上がらなかったが、後から聞いたが、元々別の部署で大きめのやらかしをした人らしい。最終的に干されを食らって自分のいた部署に異動。
やらかしをしたとき、激烈に焦って動揺していたらしい。
これは当時本人からはもちろん話されることはなかった。その後若手とマンツーマンで1年組むのは自分が始めてと聞いているが、その時の自己の経験も踏まえて、もう使い物にならない状態の自分を見放すこともなく徹底的に指導を続けてくれた。
本人に改めてお礼をしたいが、聞いた話だとけっこう当時のやらかしと焦り具合はひどいものなので、そんなお礼をすると、そのやらかしを聞いてしまったこともバレてしまうので、なかなかお礼ができないままでいたりする……。ご本人の尊厳的な問題である。
最後らへんかなり話がそれつつあったが、以上。
冒頭お伝えしたとおり、これをすれば元気に!ってものではなく、あくまで経験談。文もまとめられたものでなく、読みにくかったと思うが承知を。
自己啓発文的なものでなく、あくまで読み物的なものと思っていただければと思う。
結局7年かかってるじゃねーかと思われるかもしれないが、7年で済んで良かったとおもっている。というか5,6年である程度今くらいの状態になっていたかもなんで実質それくらいかもしれない。
ちなみに、ブラックで潰れた状態にはこれがよかった、みたいなものを書き連ねたら、『これはよくなかった』みたいなものも当然存在する。
それについては……また気が向いたら書くとします
ここからまた7年後とかになったらごめんなさい。その時もう誰もここに書いてること覚えてなさそう